成蹊大学

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標準的な成蹊大学の女子学生
梶原有希さん(経済学部経済経営学科1年)
梶原有希さん(経済学部経済経営学科1年)

成蹊大学(せいけいだいがく、英称:Seikei University)は、日本の私立大学である。

概観[編集]

大学全体[編集]

明治~大正期の教育者・中村春二が、高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)時代からの友人である三菱財閥4代目総師・岩崎小弥太今村銀行(後に第一銀行と合併、第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)頭取・今村繁三の協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっており、その後成蹊実務学校、旧制成蹊高等学校を経て1949年(昭和24年)に新制大学となる。

第二次世界大戦前は三菱財閥との繋がりが非常に強く、運営費用の大部分は三菱からの寄付で賄われていた。また1917年(大正6年)開設の成蹊実業専門学校は三菱合資会社の要請によるものであり、実業界(特に三菱)での中堅的人材の育成を目的としていた。戦後は小弥太の死や財閥解体を経て繋がりは弱まったものの、現在でも理事長以下、理事に三菱グループ各社の役員が名を連ねており、三菱グループが大学の経営に深く関わっている。現理事長には、東京三菱銀行元取締役会長の岸暁に代わり、三菱重工業取締役会長の佃和夫が就任している。

卒業生には、安倍晋三(第90代内閣総理大臣)がいる。

歴史的に財界との関わりが深く、小林いずみメリルリンチ日本証券元社長・世界銀行グループ多国間投資保証機関長官)、草間高志みずほ証券会長)、三田敏雄中部電力社長)、吉永泰之富士重工業社長)、菊地史朗アサヒ飲料社長)、白山進西武鉄道社長)、古川紘一森永乳業社長)、相賀昌宏小学館社長)など多くの財界人を輩出している。

就職状況は伝統的に良好であり、メディアでも度々取り上げられる。例えば「企業就職力」は、主要56大学中12位にランキングされた(読売ウィークリー・2008年2月17日号より)。金融・保険業へ3割が就職し、卒業生の6~7割が大企業へ就職している(成蹊大学キャリア支援センター・就職状況より)。

良家の子弟が多いとされる(大学では一部の学生に限られる)が、開塾当初は「俊才でありながら貧窮家庭である者」を塾生に選び、支援する事を理念としていた。その教育が評判となるにつれ、名家からの入塾希望も相次ぐようになったという経緯がある。

大阪成蹊大学びわこ成蹊スポーツ大学を運営する学校法人大阪成蹊学園とは、学園名(「成蹊」)の由来が同じというだけで、一切無関係である。

成蹊の名の由来[編集]

梶原有希さん(経済学部経済経営学科1年)
  • 桃李不言下自成蹊

「成蹊」の名は、司馬遷が「史記」(李将軍列伝)で引用した諺「桃李不言下自成蹊」に由来する。
意味は、「桃や李(すもも)は、口に出してものを言うわけではないが、美しい花やおいしい実があるから自然と人がやって来て、そこに小道(蹊)ができる。つまり、桃や李は、人格のある人のたとえで、そういう徳のある人には、その徳を慕って人々が集まってくる。」ということ。

成蹊と三菱の関係[編集]

  • 創立者中村春二は三菱と直接関係はないが、中村春二を支援し、成蹊学園創立に賛助員として尽力し、約24年間成蹊学園の理事長を務めたのが三菱財閥4代目総帥の岩崎小弥太であるため、三菱との関係が生まれた。ただし、三菱グループに所属しているわけではない。
  • 岩崎小弥太の支援は、資金だけではなく社会への橋渡しもあった。三菱は多くの成蹊卒業生を積極的に受け入れた。中村春二にあてた書状に「本年度卒業生採用の件、ほぼ決定の運びと相成り候ところ…その中の一、二名は三菱以外の会社にて採用する方が学校の将来の為に良からんと判断、郵便会社に一名、横浜正金銀行に一名採用の交渉致すことと致し候…」とある。
  • 岩崎小弥太は、現在のキャンパスである吉祥寺に約1万坪の農園「岩崎農園」や「清風荘」という数奇屋づくりの別荘を所有していたため、この農園に隣接した約8万坪の広大な土地を購入し、1938年に成蹊学園に寄贈した。8万坪は現在の成蹊学園のキャンパスと同等の広さのため、今の広大なキャンパスがあるのは岩崎小弥太の尽力が大きいことがわかる。1939年、敷地の西側に岩崎小弥太元理事長の鎌倉の別荘の正門が移築され、この門は成蹊学園内に現存している。
  • 1943年、当時の学園理事長だった岩崎小弥太は、岩崎家のゴルフ場であった元箱根の土地6.3万坪を成蹊学園に寄贈し、現在は成蹊学園箱根寮となっている。
  • 1944年6月、トラスコン(当時の屋内運動場)内に「三菱電機成蹊工場」が開設し、勤労動員された旧制高校の生徒達は授業を半ばに深夜までレシーバーの組立て作業に汗を流した。現在は、内装を一新し、カフェテリアやコンビニ等がある憩いの場に用途を変え、「トラスコンガーデン」として現存している。
  • 2007年4月から、成蹊大学・成蹊高校の留学制度を利用して海外に留学する学生の中から、成績が優秀であり、高い留学成果を期待できる派遣留学生を対象とした「成蹊学園三菱留学生奨学金」を導入している。

建学の精神(校訓・理念・学是)[編集]

教育理念[編集]

梶原有希さん(経済学部経済経営学科1年)
  • 「個性を持った自立的な人間の創造」

   個性尊重、人格の陶冶、勤労の実践

教育目標[編集]

  • 多様性を受け入れる豊かな感性と人間性を培う
  • 生涯学び続けるための自力学習の基礎をかためる
  • 国際舞台でリーダーシップを発揮できる能力を涵養する

成蹊教養カリキュラム[編集]

2010年度より、文理の枠を越えた幅広い教養と確かな英語力の修得を目指す、全学部共通の教養教育「成蹊教養カリキュラム」を導入した。特色は、以下の通りである。

  • 社会で使える英語力を身につけるため、すべての学部で英語を必修科目としており、TOEICTOEFL受験が必須となっている。
  • 社会で求められる水準の教養を身につけるため、理系・文系にかかわらず幅広い分野の知識を修得する。これにより、多角的な視点と柔軟な思考力を身につける。
  • 社会人として必要な他者を理解する力、自己表現力などコミュニケーションスキルを身につけるため、ゼミ形式の双方向対話型の授業を1年次の必修としている。また、日本語力科目があり、確実な文章表現力を養う。
  • コア科目と発展科目により、学生の興味や関心に応じて履修でき、段階的な学習が可能となっている。

沿革[編集]

略歴[編集]

梶原有希さん(経済学部経済経営学科1年)

日露戦争が近づくなか、母校の中学で教鞭をとっていた中村春二は、日本の教育が人間の個性を無視した画一的教育に陥っている現実に直面する。また当時は資本主義の発展により貧富の差が拡大しており、高等教育に進めるのは有産階級の子弟ばかりであった。この現状を憂えた中村は、貧窮家庭の俊才を集め、自由な立場での真の人間教育を行うため、1906年(明治39年)、自宅に私塾「成蹊園」を開設した。塾生わずか3人であった。一方、ケンブリッジ大学で英国教育に触れ、個性と自由を尊重した教育の重要性を痛感していた岩崎小弥太今村繁三は、中村の理想に共鳴し、有形無形の援助を行うようになる。

社会主義者による大逆事件が起こり、資本家の間に窮民救済の動きが活発になるなか、中村は、恵まれぬ家庭の子を対象にした無月謝の学校を作る事こそ本道であると主張。岩崎と今村の援助を得て、1912年(明治45年)、池袋に成蹊実務学校を開設した。無月謝、全寮制、少人数制を特色とし、中村は恵まれぬ境遇の子弟に進学の道を開き、英才教育を施す事によって埋もれた人材を発掘しようとした。1914年(大正3年)に旧制成蹊中学校を開設。その後成蹊小学校、成蹊女学校、成蹊実業専門学校を開設し、1919年(大正8年)に財団法人成蹊学園が設立された。1924年(大正13年)、中村が逝去。岩崎と今村が遺志を継ぎ、学園運営に尽力する。池袋から吉祥寺に移転し、1925年(大正14年)、英国パブリックスクールに範を取った旧制成蹊高等学校を開設。戦後の学制改革を経て、新制成蹊中学校、成蹊高等学校が誕生し、1949年(昭和24年)、成蹊大学が開学した。

年表[編集]

  • 1906年 中村春二、本郷の自宅に学生塾を開設。
  • 1907年 成蹊園と改称。
  • 1912年 池袋に成蹊実務学校を開設。現在の豊島区立元池袋史跡公園にその碑がある。
  • 1914年 旧制成蹊中学校開設。
  • 1915年 成蹊小学校開設。
  • 1917年 成蹊実業専門学校・成蹊女学校開設。
  • 1919年 初等教育、高等普通教育、専門教育を目的とする財団法人成蹊学園を設立。
  • 1921年 成蹊高等女学校開設。
  • 1924年 小学校・中学校・実務学校・実業専門学校を池袋から吉祥寺へ移転。
  • 1925年 旧制成蹊高等学校開設、旧制高等学校では数少ない七年制を採用する。
  • 1949年 学制改革に伴い、旧制成蹊高等学校を改組して新制成蹊大学を設置。政治経済学部を開設。
  • 1951年 財団法人から学校法人へ改組。
  • 1952年 政治経済学部に医歯学進学課程(プレメディカルコース)を設置(1964年に廃止)。
  • 1962年 工学部を開設。
  • 1965年 文学部を開設。
  • 1966年 大学院工学研究科を開設。
  • 1968年 政治経済学部を改組し、経済学部および法学部を開設。
  • 1970年 大学院経済学研究科、法学研究科を開設。
  • 1971年 大学院文学研究科を開設。
  • 1972年 大学院経営学研究科を開設 大学院法学研究科を法学政治学研究科と改める。
  • 1981年 情報処理センター、アジア太平洋研究センターを開設。
  • 1993年 国際交流センターを開設 。
  • 1999年 学園情報センター設置。
  • 2000年 文化学科を改組し、国際文化学科・現代社会学科開設。
  • 2001年 経営工学科を経営・情報工学科に改称。
  • 2002年 大学情報処理センター統合。

        理工学部実験実習棟(14号館)が完成。

  • 2004年 大学院法務研究科(法科大学院)、経済学部経済経営学科開設。国際交流センターを国際教育センターへ改組。
  • 2005年 工学部を改組して、理工学部を開設。
  • 2006年 「情報図書館(インテリジェント・ライブラリー)」という新機軸の位置づけによる大学図書館として秋に新館が開館。
  • 2007年 大学院経済学研究科と経営学研究科を統合し、経済経営研究科を開設。
  • 2009年 大学院工学研究科を改組し、理工学研究科開設。

        400m競技場・ラグビー場を改修し、けやきグラウンド完成。

  • 2010年 「成蹊教養カリキュラム」を導入。
  • 2012年 成蹊学園創立100周年

大学生2人が大麻所持(2009年)[編集]

埼玉県上尾市の路上で大学生の男女2人が大麻を持っていたとして、大麻取締法違反の疑いで警察に逮捕された。

逮捕されたのは、東京理科大学理学部4年の仲俣拓人(23、上尾市原市)と成蹊大学経済学部3年の上枝由季(21、所沢市所沢新町)。

2人は、2009年10月28日午前5時半すぎ上尾市栄町の路上で、3つのビニール袋に入った乾燥させた大麻、あわせて4.1グラムを持っていた。警察官が自転車に乗っていた2人を呼び止めて職務質問したところ、持ち物の中から乾燥させた大麻や、吸うために使う器具が見つかった。

2人は容疑を認めていて「27日夜、渋谷で外国人から買った。吸ったこともある」と供述している。警察は入手先などを調べている。

学生が逮捕されたことについて、東京理科大学は「去年7月にも大麻の所持で学生が逮捕されて薬物の乱用防止について指導してきただけに極めて残念です。厳正に処分するとともに指導を強化したい」としている。また成蹊大学は「このような事件が起きて大学として社会的な責任を感じています。再発防止を徹底します」としてる。

空手練習で殴られ立腹、回し蹴りで77歳指導者死なす。22歳大学生を逮捕(2012年)[編集]

空手の練習中に指導者を死なせたとして、警視庁武蔵野署は2012年12月8日、東京都武蔵野市吉祥寺本町3、成蹊大学3年草山秀彦(22)を傷害致死容疑で逮捕した。

草山は1日午後3時20分頃、同市吉祥寺北町にある成蹊大学の武道場で、空手の指導をしていた山梨県上野原市鶴島の自営業高木弘さん(77)の顔を右足で回し蹴りし、頭蓋内損傷の疑いで死亡させた。草山は同大空手道部に所属。当時練習中だったが、指導方針を巡ってトラブルになり、 高木さんから平手で殴られたことに腹を立て、蹴ったという。調べに対し、容疑を認めている。

象徴[編集]

  • 校歌は旧制成蹊高等学校時代の大正14年に作られた「成蹊の歌」(作詞:志田義秀・作曲:信時潔)で、現在まで歌い継がれている。
  • スクールカラーは1939年に作られた校旗の地色から紺青色としている。
  • 校章は漢字の「成蹊」に桃の実と葉をデザインしたもの。中村春二が帽子の徽章として考案したものが元となっている。2001年頃に制定された学園全体のロゴマークは「ピンクと緑色」(桃を表現)の背景に、ローマ字の「SEIKEI」を組み合わせたもの。特別にデザイナーが考案した。
  • 校章やロゴマークとは別に「ピーチ君」という隠れマスコットがいる。桃に顔と手足がついたキャラクターで、学生部作成のスケジュール帳や資料にしばしば登場した。ただし、2006年度のスケジュール帳では姿を消した。類型に「ピーチマン(マントで空を飛ぶ)」「ピーチちゃん(リボン付き)」「ピーチどん(ひげを生やしている)」などがいる。また,「もも吉」という名のWebベースのeラーニングシステムがあり,桃の鉢巻きを締めた猿がマスコットになっている.
  • 正門から入り正面に見える本館は成蹊学園が1925年に吉祥寺に移転した時に建てられたもので、成蹊大学を象徴する建物となっている。かつては現在の情報図書館(坂茂設計)の位置に、本館と同時に建てられた1号館があったが、老朽化のため2004年に取り壊された。

教育および研究[編集]

組織[編集]

学部[編集]

大学院[編集]

  • 経済経営研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 経済学専攻
    • 経営学専攻
  • 法学政治学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 法律学専攻
    • 政治学専攻
  • 文学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 英米文学専攻
    • 日本文学専攻
    • 社会文化論専攻
  • 理工学研究科(博士前期課程・後期課程)
    • 理工学専攻
      • 物質生命コース
      • 情報科学コース
      • エレクトロメカニクスコース
  • 法務研究科([[法科大学院

私立大学学術研究高度化推進事業[編集]

ハイテク・リサーチ・センター整備事業
  • 平成16年度・工学研究科
    1.人にやさしい次世代無機材料の開発と評価
    2.人にやさしい次世代有機・バイオ材料の開発と評価
    3.人にやさしい次世代生活サポートシステムの開発と評価

私立大学戦略的研究基盤形成支援事業[編集]

  • 平成20年度・理工学部
    • 人と環境に優しい統合化された社会システム研究基盤整備
      「人と環境に優しい調和した統合化環境制御システムの構築-ユビキタス環境構築による環境問題ソリューション-」

教育[編集]

学生生活[編集]

部活動・クラブ活動・サークル活動[編集]

課外活動を行う団体は、体育会加盟団体、文化会加盟団体、サークルに分かれている。

学園祭[編集]

学園祭は、「欅祭」(けやきさい)という名称で11月後半に開催される。宮瀬茉祐子などアナウンサーを生み出している「ミス成蹊コンテスト」や、毎年有名人が出演するトークショーが代表的な出し物。2007年度にはお笑いコンビのますだおかだのトークショーが、2008年度には倉田真由美と、本校の卒業生である石田衣良とによる対談が行われた。 また本学園祭は全学生が集う数少ないイベントであるため各学生団体による飲食物販売も盛んで、焼きそば焼き鳥のような定番食品から、天ぷらの中にアイスクリームを封入した「アイス天ぷら」や、校章にも模られているを模した饅頭の「ももくりまん」など独創的なものまで、多岐にわたる食品が調理・販売されている。

春には「桜祭」というOB・OGらに対してのイベントがある。在校生(一部の体育会部活)及び卒業生が出店を出し、さまざまなイベントが行われる。このほか、学内陸上競技大会(5月)という体育会、一般の部に分かれて運動会のようなイベントを行うほか、成蹊レガッタ(6月)という埼玉県戸田ボート場を貸切にし、各部、サークル、ゼミなどでレースを競うイベントもある。いずれも体育会本部(体育会の代表団体)の主催で、規模の大きくない大学ならではの行事といえる。

スポーツ[編集]

  • 毎年、学内の陸上協議会とは別に、東京四大学対抗による四大学運動競技大会(通称、四大戦)が行われている。主催は各大学の体育会学生団体(成蹊の場合は体育会本部)で、会場校の団体の中に「四大戦実行委員会」が設置される。10月の3日間、一般(野球、バスケ、テニス、バレーボールなど)、体育会(部によっては日程は別・後述)、教職員の3部門で競われ、さらに3つをあわせ総合優勝が競われる。ほとんど学習院大学の優勝で終わっているが、2003年は成蹊大学が24年ぶりに総合優勝をした(その間の総合優勝はすべて学習院)。各一般サークルは四大戦を最大目標とする団体が多く盛り上がりをみせる。
  • 硬式野球部東都大学野球連盟に所属している。
  • 「成蹊大学ラクロス部」は「学生ラクロス連盟 東日本支部」に所属している。
  • ラグビー部が2007年シーズンから関東大学ラグビー対抗戦Aグループに昇格。スポーツ推薦のない大学としては快挙といえる。
  • 「成蹊大学陸上競技部」のOBにはアミノAC所属の早川恵理がいる。長距離は、箱根駅伝予選記録会の標準タイムを突破しており、過去幾度も箱根駅伝予選会に出場している。1952年の第28回箱根駅伝大会には、同部が本戦に初出場し総合成績14位という記録を残している。
  •  「成蹊大学アーチェリー部」は、元内閣総理大臣安倍晋三氏を輩出している。

大学関係者[編集]

大学関係者組織[編集]

  • 学校法人成蹊学園が設置する学校全体の同窓会として成蹊会社団法人)がある。

大学関係者一覧[編集]

施設[編集]

キャンパス[編集]

※成蹊学園キャンパスは、2011年度グッドデザイン賞(土木・環境整備・地域開発・都市デザイン)を受賞した。

ケヤキ並木[編集]

成蹊学園が池袋から吉祥寺に移転した後、1924年(大正13年)に植樹された欅並木で、樹齢は100年を超える。 本館前と外周路を合わせて120本以上あり、成蹊だけではなく武蔵野市のシンボルとしても親しまれている。また、成蹊学園のケヤキ並木は、以下の3つに選定・指定されている。

校内施設[編集]

  • 都心にありながら、約27万平方メートルという広大な敷地を擁する。小学校から大学院までワンキャンパスで過ごす。運動施設もかなり充実しており、野球・サッカー・ラグビー・陸上競技・ハンドボール等の専用グラウンドを保有している。

建物[編集]

  • 正門、西門、東門
  • 本館
  • 大学1号館~14号館、大学西1号館(法科大学院)、大学北1号館
  • 情報図書館…創立100周年記念事業の一環として2006年6月竣工した図書館で、2008年度グッドデザイン賞を受賞した。デザイン・設計は、成蹊高校出身の坂茂。構造は地上5階・地下2階で、地下部分には自動書庫(72万冊収蔵可能)があり、端末機で必要な書籍を検索すると、1階・2階サービスカウンターまで約3分で自動搬送できる。ガラス壁で仕切られた個室デスクは266室あり、総座席数は約1150席、収蔵可能冊数は約130万冊で、利用者用PCが170台、情報コンセントが431口ある。館内は、ICカード入館ゲートが設置されている。
  • 学生会館…第1学生食堂(508席)、第2学生食堂(176席)、喫茶室(116席)、紀伊国屋書店、理容室などがある。
  • トラスコンガーデン…カフェテリアで394席あり、コンビニ(ファミリーマート)、自動販売機などがある。トラスコンは、建物の一部がTRUSCON STEEL COMPANY(アメリカ・オハイオ州)より輸入された鋼材で建てられたことに由来する。戦時中の1944年6月には、ここに「三菱電機成蹊工場」が開設され、勤労動員された旧制成蹊高校の生徒達が働いていた。戦後は体育館として1993年4月まで使用され、同年9月に、骨組みや外壁を生かし、学生等の憩いの場へと用途を変えて活用されている。
  • 学園史料館
  • 国際交流会館…国際交流に資する施設で、留学生宿泊室25室、客員研究員宿泊室8室などがある。
  • 健康支援センター(大学保健室)
  • 守護所
  • 西部室…グラウンド近くに4棟ある。
  • 蹊ハウス…学生、教職員、卒業生、父母等の集会施設となっている。

校内運動施設[編集]

  • 体育館3つ(大学体育館、南体育館、小体育館)…南体育館は、3階建ての武道場となっている。
  • 屋外プール2つ(南プール、北プール)…南プールは水深が2mあるため、水球に対応。北プールは競泳で使用する。これとは別に、成蹊小学校体育館地下に可動床を備える温水プールもあり、夏期以外は競泳で利用されている。
  • けやきグラウンド(400m競技場)…陸上競技、ラグビー、サッカーの公式試合が可能。約1200名収容可能な観客席がある。インフィールドの人工芝化、トラックのウレタン舗装、照明施設の増設とスタンドの改修・増設工事をして、2009年12月に竣工。
  • 野球場…両翼90m・中堅115mで、一部が芝生になっている。
  • サッカー場(人工芝)
  • ハンドボールコート(人工芝)
  • アーチェリー射場
  • 弓道場…最高8的かけられる。
  • 馬場(本校の厩舎には、2009年6月現在、12頭の馬を保有)
  • テニスコート(11面・一部を人工芝コートに改修)
  • 卓球場
  • 柔道場

※上記以外に、成蹊小学校・中学高校の敷地にも、それぞれ専用グラウンド・運動施設がある。

対外関係[編集]

他大学との協定[編集]

他大学院との協定[編集]

協定校(長期・中期・短期留学)[編集]

JSAFプログラム(長期・中期留学)[編集]

 など40大学以上。

認定留学(長期留学)[編集]

  • 自分の学びたい海外の大学を自由に選べる留学制度。学部での承認を受けると「留学」扱いとなり、休学せずに半年または1年間(最大2年まで)留学することができる。留学先で修得した単位は最高60単位まで卒業所要単位として認められるため、4年間で卒業することも可能。

関係校[編集]

系列校[編集]

学校法人成蹊学園の設置する諸教育機関は大学附属ではなく、系列教育機関という位置付けであるため、この欄にまとめた。

公式サイト[編集]

テンプレート:学校法人成蹊学園